レナウンの中国企業への身売りと、東京ブラウスの倒産

ごめんなさい。今日は長いです

長いのがやな人は読まないでね



僕にとっては、どちらも百貨店時代の思い出深いアパレルだ。

百貨店の凋落と共に関連する業界の倒産や業績不振のニュース報道が増えてきた。

身の回り品の大きいところではカバンのマルエム松崎だ。


その他にも、二ユースにはならないが、消えてなくなった問屋やメーカーは数多い。

そのほとんどが百貨店と共に歩んできた企業だ。


レナウンは、一時はアパレル最大手として、僕の勤務する百貨店でも「重点お取引先」だった、
つまり、同じ商品群があるなら、重点取引先から優先的に取引をするようと、指示が出ていた。

当然であろう。取引が大きくなると、仕入れ条件は良くなるし、商品の安定的供給も確保できるのだから。


他に、衣料品部門では、東京スタイルやオンワード樫山、三陽商会などが重点お取引先であった。

オンワードとレナウンはよく比べられるが、実はその営業形態は大きく異なっていた。

オンワードと比べてレナウンは当時から、規模が大きいだけで極めて脆弱な体質を持っていた。

レナウンの体質を一言で言えば、「アパレル界の百貨店」だった。

つまり全店の売上は非常に大きいが、部門別に見て行くと、これがNo.1だと誇れるブランドが何も無い、という会社だったのだ。


まるっきり百貨店と同じである。


いくら地域一番店でございますと言っても、家具部門は専門店チェーンにスペース的にも商品的にもまるで問題にならない。
家電売り場はすでに消えてしまった。
生活雑貨はスーパーの品揃えも良ければ、価格も安い。
なんとか勝負になるのは衣料品と食料品、靴やバッグ、装身具などの身の回り品くらいのもの、というのが当時の百貨店。

今も大して変わらないだろう。


レナウンは 総身に知恵が回り兼ねる 恐竜だった。

レナウンの営業担当者は、例えばアーノルドパーマーの担当者がいるとすると、そいつは全九州が担当エリアなのだ、
同じ売り場のレナウンの他のブランドはまた担当者が別である。

仕事は売上や在庫など数字の管理と、派遣店員の管理が主な仕事で、商品についての知識は基本的に無い。

たまに来る担当者に商品上の問題点や納期の話をしても全く通じない。

自分の決められたことが終わるとバタバタと次の目的地に飛んでゆく。
なにしろ一週間で九州中の取引百貨店を回らないといけないのだ。

販売員やバイヤーと商品についてこまごまと話している暇など彼らには無いのだった。


在庫管理を適正化するため、僕のいた百貨店は、単品管理のPOSシステムの導入と同時に、取引先から一方的に商品が送りつけられる事を防ぐために、納品伝票は店側が入力、大手取引先には端末があり、そこで出力された伝票で、店舗側に納品がされるというシステムになっていた。

しかしレナウンだけは店側のシステムを拒否。

自社の都合で商品を送りつける方式を変えようとしなかった。

そのために何が起こったか。

納品準備のできた商品から、どんどん店の商品センターの方に送りつけられるが、店頭在庫が消化されていれば良いものの、そうで無い場合は、何日も商品センターで開梱されぬまま、眠っている状態が続くことになった。

早い話が、機会ロスである。

もちろん開梱し納品伝票を入力しない限りレナウン側の売上は立たない。

しかしそれは店側の話で、レナウンの営業レベルでは出荷した時点で売上を計上するのだ。


子供服から紳士・婦人まで、膨大な量のパッキンケースの山を見て、僕はレナウンの部長にセンターまで来てもらい、在庫の山を見せながら、

「こんなことしてたら、大変なことになりますよ。」

と訴えたが、その部長は「そうでんねん。解ってまんねやけど。上に言うても通じやしまへんねん、困ってますねん僕らも。」

と本当に困惑した表情で語った。


その状況を僕は店の営業本部長に

「本部長。仕入れには立ってないけど、あれ、センターの場所ふさぎやし、レナウンも大損ですよ。」

と伝えたが、その後しばらくして僕は退社してしまったのでどうなったかは知らない。

しかし、オンワードはとうの昔に、営業マンの成績は、売り場に放り込んだ在庫ではなく、店頭売上が営業実績になるというシステムをとっていた。

だから百貨店のバイヤーがいくら商品を確保しようとしても、売上が伴っていなければ、展示会時点で発注をかけていた商品であっても納品をしない、というシビアさであった。

当時仲の良かったオンワードの営業マンが僕に

「○屋さんから、買取でいいですから商品を納品してくれ、と言われたけれど、こんな売れ筋商品、誰が買取なんかで入れますかいな。 掛け率の高い委託取引でぼちぼち入れますわ。」

と豪語していたことがある。

すなわちオンワードは企画から販売まで全て自分のところでコントロールする、百貨店の委託取引という取引方式をフルに利用する、という素晴らしくもえげつないシステムをとっていた。

言い方を変えれば、オンワードは最初から百貨店を舐めてたんですねww


また営業マンは店頭売りが業績になるため、本来自分の休みである日曜日にかならず売り場応援に来ていた。

かたや、店に送りつける「仮需」を売上とし、もう一方は店頭売上という「実需」を売上とした、この根本的な違いが、安定的経営を維持するオンワードと、中国企業に40%以上も株を持ってもらうはめになったレナウンとの差になった、と僕は思う。

レナウンはまた、百貨店に対し、店側の経営幹部と話をつけてさえいれば良い、と言う態度だった。

レナウンの「えらいさん達」は僕たちバイヤーに対しても,店幹部との面会が終了した後、売り場に顔を出し、「とんぼさん。いま社長と本部長に会うてきましたわ。ま、よろしゅうたのんどきまっさ。」

という調子であった。


僕からしたら  (どっち向いて仕事しとんねん、おのれら。) てなもんである。



倒産した東京ブラウスは、元来専門店対象のブラウスやドレスの専業メーカーで企画力には定評があった。

ぼくも担当したとき、従来の百貨店アパレルとは一味違う商品群がとても新鮮に見えた。

専業メーカーだけに値段もリーゾナブルであり生地もデザインも優れていた。

その分営業も企画担当者も個性的でプライドが高く、一筋縄ではいかない取引先であった。

しかし商品を前にして語るのが好きで好きでたまらない僕と、彼らが(同じようなヤツが百貨店にもおった)、とばかりに、打ち解けるまでにそんなに時間はかからなかった。



それに比べてレナウンの作るブラウスは、本当にカスだった。

だからどんなにレナウンが商品を入れようとしても、抵抗したし、どうしても入れざるを得ない状況になっても、現実に数字が取れなければ、すぐに売れない場所に商品を移動したりした。


そのとき僕が一緒に担当していた婦人セーターについても、専業メーカーに比べて商品力は明らかに劣った。

定番品で、担当した当初はすでに発注が済んでいたので仕方が無かったが、同じものは二つはいらないとして、次のシーズン、専業メーカーのものだけに絞り、レナウンの定番を削ったことがあった。

後日大阪レナウン支店に出張で行った際、あちらの部長からそのことで猛列に苦情を言われたことがある。

「とんぼさん。なんでんのあの××って? 伊勢丹グループの店にはみな入ってるけど。」

「いや、あれは伊勢丹グループ
(注  ADOグループと言い、伊勢丹を機軸として共同企画を行い、加盟各店が店のオリジナリティを出すことを目的として作られたグループであり、他にも高島屋グループなどがあった)

の商品やし、優先的に入れることになってるんですよ。

仕方ないでしょ?同じようなものふたつもいらしい。・・・前任者はどうやったか知りませんが。

でも××さんの商品は、きれいな発色やのに、レナウンさんのは、なんであんなに色がくすんでますのん?」

と僕は言い返した。


後日、東京で××の社長に、同じような商品の発色の違いを聞いたら、レナウンはこの商品については後発なので、レベルの高い工場を押さえられなかった、ということだった。

(もちろんこの小さなセーター専業アパレルも今は無いんだけど。)



一事が万事これ。しかも営業マンも商品知識が足らない。

デザイナーと話しても二流とすぐ解る。(一流はワールドや、当時出始めのDCブランドに行くのだった。)

派手に打ち上げる新商品の企画や、コマーシャルだけは上手。


これがレナウンだった。


あの体質が変わっていなかったら、潰れて当然。



東京ブラウスは・・・・素晴らしい人材がいた。

その後、創業社長は勇退し、ソルボンヌ卒の「超エリート」二代目が経営者になった。

その前に倒産していた「花のブラウス」吉村 も二代目社長で潰れた。

どちらも初代社長は、シーズンごとに開催される展示会には老体に鞭打って必ず顔を出されていた。

30歳そこそこの青二才バイヤーの僕をみつけると、かならず傍に来られて話しかけられ、僕が商品についてあれこれ話すと、本当に嬉しそうに自社商品についての話をされ、心から商品を愛していらっしゃるなあ、と尊敬の念を持ったものだ。

二代目経営者は、それぞれ優秀で、人間性も悪くない方々だったように思えるが、創業者との大きな違いは、商品そのものを愛する、というより、商品を数字でとらえる、という人だったように思う。


吉村を早くに退職した友人も、

「創業者がブラウスやセーターを心から愛してはったから、ぼくも意気に感じて、一所懸命やってきたんや。
でも先代が引退しはってから、そうや無くなったさかい辞めたんや。」

と語っていたのを思い出す。

車でもそうなんじゃなかろうか。乗って喜んでる人の姿を想像して、頑張って新型車の開発をする。

あるいは、ブラウスを着て喜んでおられる婦人の姿を見たくて、良いものを作ろうと努力する。

こういう熱い思いを持った人たちが会社をや運営しないと、結局はもの作りも、販売も成功しない、と心から思うのだ。



後は押して知るべし。

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この記事へのコメント

かかし
2010年06月01日 12:34
この話、いろんな業界に当てはまる貴重な話だと思う。ハウスとグリコとか、トヨタとどこだとか、ある業界における会社のあり方の違いとか、栄枯盛衰とか、落ちぶれて行ってしまう会社は何が問題かとかね。

面白いですわ。
ponpoko
2010年06月07日 22:06
初めまして。東京ブラウスで検索していたら偶然ここへ到着しました。実は私、記事中にも登場しいる某アパレルメーカーの社員です。なにかみにつまされる思いで一気によんでしまいました。私が入社した20数年前はレナウンが百貨店の売場を牛耳っていましたから・・それが今や・・明日はわが身です。襟を正していかねば!
とんぼ
2010年06月08日 09:42
ponpokoさん、こんにちわ。コメントありがとう!
読み返してみたら、書いたつもりの文章が飛んでて意味を成してなかったり」、冷や汗がでました。
こんなひどい文章を最後まで読んでくれてありがとうございました。
これに懲りずにまた来てください。
雨んぼ
2013年06月21日 14:56
とんぼさん 有り難うございました。東京ブラウス創業者 戸賀崎 繁男さんは 服を愛し 誰からも 愛された 優しい人でした。とんぼさんの コメント読んで 懐かしくなりました。天国から まだ 覚えていてくれる人が いたと 喜んでいると 思います。
とんぼ
2013年06月22日 11:42
雨んぼさん。三年も前に登校した記事を読んでくれたのですね。そして東京ブラウスに関係されていた方なのですね。僕が社会人として一番油の乗り切っていた時期に巡りあい、僕の意見や考え方を尊重してくれて、共同で物づくりをさせていただいたりした素敵な会社でした。中堅の元気なアパレルが消えてゆくことは、自分の一番輝いていた人生のほんの一瞬の足跡を消されるようで、本当に寂しい思いがするんです。あれから30年が過ぎましたが、あの充実していた日々のことを、まるで昨日の出来事のように思い出すことができます。
今のITやネットを活用して成功されている若い起業家の中で、あの方々のような言わば「三愛主義」を持っておられる素晴らしい方って、果たして居るんだろうか、と考えてしまいます。雨んぼさん、またあそびにきてくださいね。
夜間飛行
2013年06月26日 13:14
とんぼさんはじめまして
創業55年の個人店です
東京ブラウス 取引が大変でした でも商品を見て納得
素材 縫製 完璧でした
今でも、何故倒産したか不思議です
もう、東京ブラウスのような会社は・・・
残念です
ピンタックのシャツ フェミニンのブラウスを売りたいです 
とんぼ
2013年06月26日 14:39
夜間飛行さんこんにちは。55年ですか・・・立派!の一言です。
取引先は東ブラと吉村がメインだったんです。東ブラウスは、当時の我が社の営業部長が、それまでセーターとブラウスでひとつの係だったのですが、ブラウスをセーターから独立させて一つの係にしよう、となった時、僕がちょうど昇格してブラウス売場の初代係長となったのです。その時に導入されたのが専門店アパレル位の東京ブラウスでした。商品見て惚れましたね。そして取引条件は厳しい、営業マンは生意気で今までの取引先の営業とは違う人種だあで、当初は目を白黒させました。
あの会社のその商品コンセプトに合わせたもの作りは絶妙でしたね。他の専業アパレルと違って、キチンと規格時点からストーリーを分けてトータルなファッションでのトップスという物作りでしたので、ティーンズ、大きいサイズや小さいサイズ、ドレス売り場などを経験した僕には実にわかりやすく、ファッショントレンド別の品揃えを基本としていた僕位には願ったり叶ったりのアパレルでした。東ブラは特に商品のデザインにマッチした素材の選び方が抜群でした。レナウンなんて、フェミニンなデザインに羽二重みたいな硬い素材を平気で選んでたりしてぼくをむかつかせてましたし(笑)一番の思い出は、冬場に何を売ろう、と思案中に東ブラからパーティブラウスの提案があり、「これだ!」とばかりに共同企画で新聞チラシを20万枚も東ブラさんに作ってもらい、売り場も販売促進部の話のわかる先輩と練り上げ、ディスプレーと売り場作りをやって、別注のパーテイブラウスも作りこみ、二週間キャンペーンをやったら、すごい売り上げで、翌年の決算あとの全体朝礼で表彰されたことです。東京ブラウスさんはその意味では、こいつは話がわかる、と思ったらリスクを取って一緒に頑張ってくれる素晴らしいアパレルでした。僕の最高の思い出の一つです。
とんぼ
2013年06月26日 14:39
続き
その後バイヤー制度ができ、僕はブラウスとセーターを受け持つことになりましたが、セーターも一年前から専業アパレルさんと一緒に企画して仲の良い九州のバイヤーに声をかけて別注を作るのがとて楽しく、良い思い出になってます。今だにセーターブラウスに関わった私の勤務した百貨店の社員と、アパレルの担当者で何年かに一度「SB会」というのをやって旧交を温めてますよ。セーターブラウス最高!東京ブラウス最高! 夜間飛行さん、また遊びに来てください。
夜間飛行
2013年06月28日 22:17
とんばさん、今売り場も進化してますね
アイテム別の方が専業メーカーは、個性を出せたかな?
ブランド別だとどこの売り場もいっしょ・・・
あの頃の個性的なメーカーも本当になくなり
寂しいです。
ブラウスを脇役から主役にしたのは、やはり東ブラですよね 輝いてました
とんぼさんも、やりがいがあったんでしょうね
C
2014年03月16日 12:13
はじめまして
元東ブラ社員です。
創業者の戸賀崎繁男さん
(私たちはオーナーと呼んでいました)から社長を継いだ
高田輝男さん、その次の社長の戸賀崎利彰さん時代に
マーケティング部(プレスルーム)と営業で働きました。

忙しかったし体はキツかったのですが、
社員は楽しい面々ばかりで良い思い出しかありません。
会社が無くなると聞いた時(すでに退職しておりましたが)、
ショックでした。

とんぼさん、
懐かしい会社、優しかったオーナーと社長たちを
思い出せてくださりありがとうございました。
とんぼ
2014年03月17日 10:24
cさん。4年も前の記事なのに! 残しておくもんですね(笑) 東京ブラウスの個性的な面々を思い出します。福岡支店は副題の野球部出身が多かったなあ。あの「逆噴射事故」に遭遇し、九死に一生を得たI君は投手だったなあ。同じ野球部のR君、当方だったかどこかのニューフェースに選ばれた経験のある人もいたなあ。それと当時の福岡支店長だった鈴〇さん。あの方は今はユニクロで当たり前になったSPAの重要性を唱え、「編まれるの流通は遅れてる。今は活魚の物流システムを学ばなきゃ!」と力説されれましたね。懐かしい思い出です。
13
2014年05月12日 01:12
何気なく、東京ブラウスで検索していたら、こちらの記事を見つけました。
私の母が東京ブラウスに勤めていて、色々話を聞いていました。社員でゴルフやスキーをした事ボーリング大会の話、税務署が来た時の話(母は会計でした)
戸賀崎さんの家は私の実家と近く何回か遊びに行きました。母は、結婚を期に辞めましたが、家が近い事も有り何回かおじゃました事が有ります。ターキーさんに似た(私が勝手に思っていた)奥様、大好きでした。キーウェストでのパティーは退職して20年以上経っているのにOB OG会で招待され私も母とおじゃましました。皆家族みたいで楽しそうにしていた母を思い出しました。(母はまだ健在です)
なんか懐かしくて初めてなのに、長々と失礼致しました。
とんぼ
2014年05月12日 09:50
13さん。おはようさんです。
しかしこんなに時間がたってもコメントが入るなんて。どれだけあの東京ブラウスが皆に愛された素敵な会社であったかの証明ですよね。
「キーウエスト」も懐かしい。当時話題の店でしたねえ。
とんぼ
2014年05月27日 13:57
はたちのお洒落さんこんにちは。メールではたんとコメント通知があったのに、反映されてません。不思議です。
「はたちのドレス」でしたっけ、懐かしい!
あらためてwikiみたら、「東京ブラウス」としてスタートしたのって、僕が生まれた1950年だった!
いと
2015年02月28日 14:36
 はじめまして
 普通の上品な白いブラウスを探しているのですが、なかなか見つかりません。百貨店にもブラウス売り場がありません。
 そういえばあの東京ブラウスはどこで売っているのか、と検索していてたどり着きました。
 とっくに倒産していたのですね。
 一消費者で企業のことはわかりませんが、洋裁をしていた母が、「東京ブラウスは縫製がいい」と言ってましたので、私も昔はよく着ていました。
 もう着ることができないのは、残念です。
とんぼ
2015年02月28日 15:43
いとさん、こんにちは。この記事だけは長きにわたってボツボツとコメントが来るんです。本当に不思議だけどそれだけ東京ブラウスが素晴らしかったって事の証明ですね。
デパートのいわゆる「単品売り場」は1980年前後のDCブランド登場の頃から、売り場ははショップが増え始め、ドラス売り場やスカート売り場、セーター売り場などおおきな売上を上げていた単品売り場は徐々に減り始め、今では、ほんの少しになってしまいましたね。専業メ-カーも潰れるかトータルファッションとして物作りをするアパレルに変身してしまいました。東京ブラウスは専業メーカーといってもすべてトータルなスタイリングから発送するブラウスでしたので、このようなスタイルにはこのブラウス、という商品がリーズナブルな値段でたくさん来何アップされていたのです。今ではそういうものをうる場所そのものがなくなってしまいました。だからブラウスに限らず買い物が何軒ものショップを回らないといけなくなったので時間がかかるようになりましたね。まあ値段に関して言えば中国で生産されるものがほとんどなので、上がっていないのだけが取り柄ですが(笑)。ところで最近は政治的なコメントばかり投稿してますが、これを機会にもっと生活に密着した記事も投稿したいと思います。今度とも宜しく。
きなこ
2015年07月17日 09:35
おはようございます。
いろいろ検索していてお目にかかることになりました。
今の日本の現状が以前から見透かされていたような記事を読んで、驚いています。
昔の経営者の方々の努力と心が二代目に受け継がれる事なく、潰れていった数々の会社があったのですね。
食品も衣料も質の良い安心安全な日本産、国産の物が少なくなって中国韓国だらけの物が私達の生活を脅かしています。
今の日本の企業が、昔の経営者の方々のような志しで日本人が日本のために尽くしてくれることを懇願します。
とんぼ
2015年07月17日 11:07
きなこさん。
会社って志がないと本当にダメなんですよ。
景気の良い時はイケイケどんどんで誰がやっても売上って伸びるものなんです。でも一旦不景気になると、当然売上が落ち出しますね。そこで凡百の経営者はなにをやるか?
値段を下げます。しかし値段を下げたらその価格が普通になってしまい、インパクトがなくなります。でまた値下げという悪循環にハマります。そして結局は無理なコストダウンは商品の品質劣化という結果になり、企業そのものの存亡に関わってきます。あのマクドナルドの原田某という経営者がそれをやって失敗しましたね。結局はその企業の当初の哲学(志)を忘れてしまうとこうなってしまうのですね。自分のお客様か求めているのは何か、どういうものを提供したらお客様が喜んで支持してくださるのか、これが一番重要。このぶれない姿勢があれば、逆に値段がアップするようなことがあっても商品価値がそれに見合っていてオンリーワンのものであれば必ず売れるんです。結局は数字が先行しお客様のことを忘れてしまった結果が「倒産」ということなのでしょう。商売は厳しいです。
じぷしー
2017年02月02日 11:19
はじめまして。
ネットでフラフラしていて見つけ、読みふけってしまいました。
古い記事なのでコメント残すのもどうかと思いましたが、迷惑でしたら申し訳ありません。

つい最近まで私はレナウンの某売り場で働いていました。色んなメーカーを渡り歩きましたが、レナウンは最初から変わった会社だと感じていました。
記事を読んで、ここまでアパレルや百貨店が低迷し、レナウンも中国出資になってもまだ、レナウンの体質は変わっていないんだなぁと感じました。

>レナウンの営業レベルでは出荷した時点で売上を計上するのだ。
委託でやってるショップは未だにこれをやってます。私のいたところでも毎年2月の決算期に合わせてガッツリ納品してきます。
はっきり言って数千万の単位です。
さすがに今の百貨店はこれを容認していない所が大多数ですが、私のいた百貨店では仕方なく受け入れていたみたいです。
納品の処理をしてそのまま返品の処理をして・・・
ただ単に売り上げが帳簿上計上されれば良いという考えでした。
こんなの受け入れてくれる百貨店がゼロになったらもう終わりだと思うのですが。。。

ここ数年で何度も短期間で体制が変わり、その都度売り場は混乱し、きちんとした連絡もなく、非常に売り場への配慮のない会社だと思いました。
ちなみに、私はオンワードの子会社にもいた事があったのですが、そこは私たち売り場のスタッフをとても大切にしてくれました。
レナウンは本社の社員と現場の売り場スタッフとの隔たりがとても大きいです。
あまり書けないですが、色んなメーカーを渡り歩いた経験からレナウンはかなり世間の常識とずれてます。

この記事で昔からの体質が全く抜けてないんだなぁと思い悲しくなったと同時に、辞めて良かったと思いました。

長々と愚痴の様な事をかいてしまってすいません。
じぷしー
2017年02月02日 11:28
連投すいません、
コメントは読んでいただければ満足ですので、その後決して頂けると助かります。
図々しく申し訳ありません。
とんぼ
2017年02月02日 13:31
じぷしーさん、こんにちは!
お名前からするとよほどアパレルを渡り歩かれたんでしょうかw
もう7年前の投稿を読んでくださって感激です。もうあの当時から30年も経ってしまいました。一番エネルギッシュに働いていた時代のことなので、記憶も鮮明で思い出すたびに立懐かしさがこみ上げてきます。学生時代バンド活動をしたこと以外は無為に過ごしていましたので、社会人になってからが僕の青春だった気がします。だからこそ老舗の倒産の報を聞くとたまらなく寂しくなるのでしょうね。
レナウン大阪支店から収集レナウンに移籍した人たちは、みなお人好しでしたよ。
福岡三越のアクアスキュータムコーナー店長をしていた元大阪支店で僕の売り場に来ていた営業マンは、僕が勤務した店の本店がパルコに譲渡が決まった後、本店での営業最終日には、店の前に行き降りて行くシャッターを見ていたら涙が止まらなくなった、と言ってました。
栄枯盛衰聖者必滅は世の習いだけど、あのようなシーンは自分の青春が消されるような思いがして胸が痛みますね。

じぷしーさん。
最近はFB中心で、ブログはめっきり更新をしなくなりましたが、どうぞ遊びに来てくださいね。コメントもください。
それでは。
TBS&MX
2017年05月03日 20:17
なんとなく検索してみたら、見つけてしまいました。
私、元社員で、1977年入社組です。
配属されたのはシャツ・ブランドでして、NHKの朝ドラに出てたシャーロット・ケイト・フォックスさんがNo.45276シャネルスターという素材名のヨーク横タックのシャツ・ブラウスを着てらっしゃって、その商品づくりに携わった人間として凄く嬉しかったですね。
当時、繊研新聞の年間表彰で全国バイヤー1位の横綱に2年連続で選ばれたりした時でしたので、まさに絶頂期に仕事させていただきました。マーチャンダイザーを長くやりましたので、最初は鈴屋さんやマミーナさんの別注企画を中心にモノづくりの楽しさを体感しましたし、その後は(新)伊勢丹さんや(日)高島屋さんとも商品の開発から相談させていただき、本当に楽しかったですね。
マーケの方も顔を出されているようですので、マーケティング部の協力により展示会もかなり派手にやったものです。
また、当時はパリにもトブレールというオフィスを構えていて、行くとユミ・シャローさんがトレンド最前線のお店に連れてってくれたんですよね。
まあ、本当にファッションが夢そのものの時代でした。
本当に今思い返しても、デザイン性の高い商品を作っていたと思います。
とんぼ
2017年05月03日 23:43
TBS&MXさん こんにちわ。

大活躍なさってたんですね。
鈴屋 マミーナ 懐かしい名前です。
実は私、鈴屋にも入社試験パスタしてました。
大学の推薦が有ったので百貨店に行ったのですが結果は婦人服でしたのでまあ良かったんですがw

鈴屋に行ってたらおそらく同業者についてコムサに行ってたでしょうねw
一部の富裕層向けは別でしょうが、
ファッションがチープになってもう随分経ちましたね。

しまむらとかH&Mとかいう見ると情けなくなりますわ。

当時はCPの高い本当に良い商品を作っておられましたね。
はたけ
2017年05月07日 23:01
はじめまして。はたけと申します。東京ブラウスで検索してこちらにたどり着きました。

実は、先日母から東京ブラウスのブラウスを譲り受けました。私が幼い頃からありましたから、もう30年は昔の物になります。しかし、デザインも装飾に使われているレースも美しく、しっかりした作りで、私が着ても全く違和感がなく、両親も嬉しそうでした。記事を読み、今はもうないことを知り残念ではありますが、ブラウスに表現されたものは今でも活きていることをお伝えしたく。コメントさせて頂きます。
とんぼ
2017年05月08日 17:00
はたけさんこんにちわ。


今はいわゆる単品売場と言うものがとても少なくなり、洋服を買いに行くと、たとえばブラウスやスカートと言った単品が欲しいのに、トータルを売るショップばかりで、百貨店以外には「セーター売場」や「ブラウス売り場」という売り場が本当に少なくなってしまいましたね。
私が担当していたころは、地方百貨店とは言えど、婦人セーター・水着(セーターの売れない時期は水着を売ってました)で年商10億、同時に「ブラウス売り場」を単体の売り場として作った初の担当者が私で、2億数千万売っていたと思います。

その時、東京ブラウスという素晴らしいアパレルと取引を開始したことで爆発的に売り上げが伸びたのでした。
特に忘れられないのが東京ブラウスさんがブラウスの売れない冬の時期、とくにクリスマスをターゲットに提案した「パーティブラウス」。

これに僕は飛びつき、特別企画の商品を作ったり、チラシを二十万枚作ったり、東京ブラウスさんからお金を出していただき、特別のコーナーを設け、キャンペーンを開催。これが大当たりしてすごい売り上げを作ったことです。

本当に素晴らしい経験で今でもとても良い思い出になっています。

たくさん商品を作る分お値段をリーズナブルにできるという好循環でしたね。

うちの子供たちは僕が若いころ来ていたポロのセーターやマクレガーのダッフルコートをまだ着ています。また孫たちは家内が独身時代に着ていた可愛いテーピングが前立てあしらわれているやはりマクレガーのカーディガンを着ていたり、ご存じファミリアの商品を、親である娘たちが着ていたものを孫たちが着ています。

良いものは時代を超えて生き続けます。

どうかお母さんの思い出の詰まったブラウスをこれからも大事に着てくださいね。

すっぴんのナオ
2017年05月17日 10:12
初めまして 東京ブラウス倒産の新聞記事を読んで愕然とし、その後しばらくしてからこちらの記事を拝見しました
 横浜ジョイナスにあったフェズ、という素敵な店で、スタンドカラーから放射状にピンタックがほどこされてある白い木綿のブラウスを買いました 生地、デザイン、縫製、すばらしかったです 
80年代に入り、社会人として製造業末端で
洋服付属の巻きバラなどを飯の種で作るようになり、東京ブラウスのお仕事もいただきました どんな小さなものでも、毎回必ず正確なデッサン、寸法が指示され、仕事とはこういうものだと、教えていただいた気がします バブル後、製造業、材料屋、素材屋の現場は荒れ果てました
染色屋も生地屋も職人も、店員も、縫い子も…それでもそこでどのような仕事をするかは、自分自身のこと、なのでしょうね
あまりに懐かしく、皆様のコメントが胸にせまり、長々と書いてしまいました
本当にありがとうごいました
とんぼ
2017年05月17日 10:57
すっぴんのナオさん、こんにちは!
いやあみなさん本当にすごいです。
同じ業界の過多が思い入れが強いのは、真面目に仕事に取り組んでいた人はある意味当然なのですが、購入したり貰ったりしたブラウス一枚に対して、こんなにも思い入れが強いのか、と改めて感じさせてもらいました。
仕事してる人は、商品そのものや様々な付属品を作る人も、勿論お客様に売る人たちも、みなお客さんにそのような感動を与えたいと思って仕事してほしいですね。そうすると仕事がもっと楽しいものになる気がします。東京ブラウスってすごかったんだなあ。僕の所属した「岩田屋」については、お客さんは勿論のこと、お取引先の方はどういう思いを持っておられたんだろう。名前だけ残っている現在の岩田屋ではなく昔の店に対するお客様の評価を聞いてみたいです。僕の個人的な思いでいうと、社員には良い人も多かったが一番点ということで尊大な社員や取引先任せの商売しかできないダメな社員も多かったように思うし、そのように考えている取引先さんも多かったように思うんですが。
AG
2017年05月24日 21:45
東京ブラウス懐かしいです。1990年代にジョリエという百貨店1Fのブラウス売り場のブランドにテキスタイルを販売していました。当時花のブラウスの吉村、ミセスの相模商会などブラウスアパレル全開でした。展示会後にはジョリエからすごい数量の生地の発注をいただきました。花柄、ペズリ柄、またウイリアムモリスの柄など懐かしいです。
とんぼ
2017年05月24日 22:21
ジョリエ!
懐かし過ぎ😃
ミセス対象のプリント中心のブランドだったですよねー。
相模ぼブラウスもミセス対象だったけど垢抜けてなかったですよね。
で仕入れる意味が無い!
と偉そうに(今思えば)切ったんですよ。
一年後相模に優秀なデザイナーが
入ってゴロッと商品が変わり、これなら再度取り組もう、と発注を再開したのです。
その時どんだけ相模の担当者から「臥薪嘗胆の一年」の悔しい思いを言われたか😰

でも申し訳ないけど当時の市場を考えれば吉村でギリギリ。
ジョリエが有れば相模は不要だったんです(^
それでもダサかろうが洒落てようが、皆情熱を持って必死に働いてよね。
本当に良い時代でした。

思い入れのこもった商品が適正な値段で手に入った時代です。

もう今のグローバル時代には求めてもかなえられない、素晴らしい時代でした。



TBS&MX
2017年12月27日 14:03
AGさんって、もしかして東京ロマンの方でしょうか!?
ウイリアム・モリスの柄はロマンさんが独占的に扱ってらっしゃいましたもんね。『いちご泥棒』とか『アイリス』とか、売れ筋の柄は何度もリピートしたものですねえ(^0^)/
とんぼ
2017年12月27日 15:10
TBS &MIXさんこんにちは

おそらくそうでしょうね
はや
2019年08月23日 17:31

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