とんぼのひま人ダイヤリー

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help リーダーに追加 RSS バガボンのパパのパパが死んだのだ!

<<   作成日時 : 2008/08/04 18:32   >>

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赤塚不二夫さんが、長い闘病生活の末、お亡くなりになった。

手塚治虫さんがなくなったときと同じくらい残念。

忘れもしない小学4年生の時。

長嶋選手の表紙で発売された少年サンデーは、当初大人の週刊誌の子供版の体裁で発売され、
勇んで購入した僕は、写真グラビアや、文章の記事が多く、期待していた漫画が少なく、がっかり
したのを良く覚えている。

それまで漫画雑誌は月間誌しかなく、「少年」、「冒険王」、「日の丸」などが人気だった。
毎月、発売日が待ち遠しくて仕方が無かったものだ。

だから週間で発売されると知ったときは本当に嬉しかったのだ。


大人の週刊誌の子供版といった体裁は何号か続いたが、流石に読者の反応の悪さに気がついたのか、
その後はどんどん漫画の分量が増えて行き、それに連れて人気も急上昇。

その後、後を追って少年マガジンが発売になった。

しかし漫画週刊誌、特に少年サンデーの人気を不動にしたのは、僕が小学6年生のときの「おそ松くん」 
の連載開始からだと僕は断言する。(だからなんなんだよ)

6つ子の兄弟は言うに及ばず、「シェー」「おフランスざんす」のイヤミ、
ハタ坊・チビ太などに加え、手塚治虫さんの、「ひょうたんツギ」の影響か、ストーリーとは関係なくあら
われるケムンパスなどのキャラクターが大好きだった。

その後の天才バガボンになると、過激さはどんどん増して行き、いろんなキャラクターが登場し僕たちを
楽しませてくれた。

その中でも、「レレレのおじさん」。
これは僕が小学生の低学年のころ好んで読んでいた漫画家さん(お名前失念)の絵が参考になっている。

参考と言うかリスペクトというか、あの目の書き方、耳、手つきが全く同じなのだ。

きっと赤塚さんが尊敬していた方だったのだろう。

ああ、いくらでも思い出すなあ。勉強したことは全く覚えていないが、こういうことは良く覚えているんだよ
なあ。

赤塚さんはあちらの世界に行き、先に旅立ったお仲間たちと一緒にウイスキーを飲みながら漫画の話を
してるんだろうなあ。

合掌




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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
「弟子」のタモリのコメントはちょっとぐっと来るものがありましたね。
かかし
2008/08/05 16:33
私はバカボンで育った世代なので、さびしく思います。
PINE
2008/08/05 20:17

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